バンクーバーの日本人街。ジャパンタウンと呼ばれたパウエルストリートのいま

戦前、バンクーバーにもジャパンタウン(Japantown)という日本人街がありました。

ダウンタウンの東、パウエル・ストリート(Powell St)を中心に、最盛期は8400人もの人が暮らしていました。

映画『バンクーバーの朝日』の舞台にもなった、オッペンハイマー公園がある場所でもあります。

しかし、第二次大戦をきっかけに住民たちは強制移住を強いられ、ジャパンタウンは消滅。

現在は、バンクーバー屈指のホームレスが集まる治安の悪いエリアになっています。

かつての面影を求め、日本人街に行ってみました。

目次

日本人街について

場所

日本人街があったのは、バンクーバーのダウンタウンの東、パウエル・ストリートを中心とした一帯です。

バンクーバーの中心地から東に2km、チャイナタウンに隣接したエリアです。

かつては、ジャパンタウン(Japantown)もくは、日本町(Nihonmachi)と呼ばれていました。

治安

注意したいのが、ダウンタウンイーストサイド(Downtown Eastside)という、ドラッグやホームレスなど貧困と犯罪を抱えるエリアにあるということ。

バンクーバー朝日軍の本拠地だったオッペンハイマー公園(Oppenheimer Park)には、ホームレスのテントが密集し、炊き出しが行われています。

大阪西成のあいりん地区のような場所ですが、治安と雰囲気の悪さは段違い。毎年夏には日系カナダ人最大のお祭り「パウエル祭」が開催されますが、普段は完全にホームレスの公園になっています。

日本人街に歩いていく

宿泊先のホステルがあるグランビル・ストリート(Granville St)から歩いて行きました。

ダウンタウンの中心部からは、徒歩で20分ぐらいの距離(約2km)です。

バンクーバーのダウンタウンはホームレスが多いんですが、これから行く日本人街は特にホームレスが多いことで有名。

シーモア・ストリート(Seymour St)を北に進んでいきます。

下から見たバンクーバー展望台。残念ながら、天気はくもり空。

ダウンタウンの中心部からほど近い場所ですが、バンクーバーの街は雰囲気の悪い所が多いです。

自然豊かで住みやすい街というより、ホームレスとドラッグの印象です。

悪名高いイースト・ヘイスティングス・ストリート(E Hastings St)を東に進んでいきます。

ここはビジョンパーク(Pigeon Park)という場所なんですが、ホームレスの方がたむろしています。

バンクーバーのシンボル、トーテムポールも立っていますが、朝から奇声をあげてる人がいました。

世界の住みやすい都市としてよく上位にランキングしていますが、現実は結構ハードだと思います。

これ以上、ヘイスティングス・ストリートを進むと危ないので、北上してガスタウンの東端に来ました。

ここからは、ウォーター・ストリート(Water St)がパウエル・ストリート(Powell St)に変わっています。

ギャッシー・ジャックの銅像(Gassy Jack statue)がある交差点です。

ガスタウンの近くで、ここらへんはまだおしゃれな雰囲気です。

ただ、東に歩いていくと、だんだん雰囲気が変わってきます。

歩いている人もワケありそうで、日中でもなんだか暗い感じです。

日昇(Sunrise Market)

かつての日本人街の入り口付近に、日昇(Sunrise Market)というスーパーマーケットがあります。

この地で50年以上営業するランドマーク的存在のお店で、戦前は日本人が経営するお菓子屋がありました。

戦争で閉店を余儀なくされますが、戦後に中国人の移民がスーパーをオープンさせました。

Sunriseという名前を引き継ぎ、地域の需要に応え豆腐を作りをはじめ、いまではカナダ最大の豆腐メーカーに発展しています。

スーパー自体はかなり年季が入っていますが、食材の安さには定評があり、平日の朝ですが結構お客さんが来ていました。

壁にはミューラル(壁画)があり、中国や日本をイメージして書かれたそう。

場所は、パウエル・ストリートとゴア・アベニュー(Gore Ave)の交差点です。

隣には、「St. James Anglican Church」というカトリック系の教会があり、これもかなり古い。

T.MAIKAWA Store

再びパウエル・ストリートを東へ行くと、怪しい雰囲気の黄色い建物があり、よく見ると「T.MAIKAWA」の文字が壁に残っています。

1936年、建築家のT.L. Kerrによるアール・デコ様式のビルで、オーナーはマイカワトメキチさんという方。

製材業や鉱山業、漁業に従事する日系カナダ人のためのお店でしたが、戦争勃発とともに建物は没収。

外壁に掘られた名前だけが残っています。

廃墟のような雰囲気のビルで、てっきり空き家かと思っていましたが、食品加工工場として使われているようです。

オッペンハイマー公園

そのまま進むと、バンクーバー朝日軍の本拠地オッペンハイマー公園にぶつかりますが、目に飛び込んでくるのホームレスのテントに驚きます。

しかも、尋常じゃない数で、かなり近寄りがたい雰囲気。観光どころの気分じゃありません。

フェンスには、朝日軍のマークが掲げられ、かつてこの地で野球をしていたことがわかります。

ただこれ以外なにも当時の痕跡がなく、映画ファンが聖地巡礼で来たら、目の前の光景に腰を抜かすでしょう。

このオッペンハイマー公園では、約130人(2019年7月)のホームレスがテントで生活しているそうです。

このときはまだ3月で寒かったんですが、夏になると倍以上の数になるということ。

冬の間は、バンクーバー市が用意するシェルターにいる人が多いみたいです。

西海岸にあるバンクーバーといっても、やっぱり冬は寒いですから。

朝日軍の活躍をしのぶモニュメントですが、だれかの毛布がかかっていて読めません。

ちなみに、映画の最後でも映し出されています。

慈善団体の人たちが来て、炊き出しもしていました。

おそらく、カナダで一番ホームレスの人口密度が高い公園じゃないでしょうか。

道路には、「ザ・パウエルストリート・グラウンド」と日本語が刻まれています。

廃墟みたいな古い建物も目につきます。

Tamura House

公園の横には、「Tamura House」という立派な建物があります。

設立は1913年、バンクーバーで貿易店を開いた田村新吉(1864-1936)さんが所有していました。

かつて「New World Hotel」と呼ばれ、1階には日用品店からオフィスまで、日本人が経営するお店が並んでいたそうです。

田村新吉さんはのちに、日加合同貯蓄銀行社長、神戸商業会議所会頭、衆議院議員、貴族院議員など、実業家・政治家としても活躍。

カナダと日本をつなぐ重要人物だったと思います。

バンクーバー仏教会

公園を挟んだ反対側には、バンクーバー仏教会(Vancouver Buddhist Temple)があります。

浄土真宗の宗派の1つ、京都の西本願寺を本山とする本願寺派のお寺です。

1905年に西本願寺からササキセンジュ(Rev. Senju Sasaki)さんを招き建立、当時はガスタウンの近くにありました。

戦争で一旦消失するも、1979年に現在の場所(220 Jackson Ave)で復活を遂げました。

戦前からいまにいたるまで、バンクーバー仏教の中心的役割を担っています。

すぐ隣には、Powell Street Getawayというホームレスを支援している施設があります。

バンクーバー日本語学校

パウエル・ストリートから北に入ると、バンクーバー日本語学校(Vancouver Japanese Language School)があります。

誕生は1906年、カナダ最古の日本語学校でにして現役。当時の歴史をいまに残す、数少ない施設です。

日系人会館も併設されています。

この5日後には、日系人ハリウッド俳優のジョージ・タケイさんが訪問したようです。

また、トランプの移民政策に警鐘を鳴らす『They Called Us Enemy』という本も出版しました。

スター・トレック伝説の日系人俳優 ジョージ・タケイさん バンクーバー日本語学校を訪問

晩香坡日本語学校並びに日系人会館は、非営利社会団体として1906年に創設された。当初の施設は、現存するこの建物の西側に位置しており、スパニッシュ・ミッション・リバイバル様式を用いたこの建物は1928年に拡張施設として落成した。1919年頃には、一般教育から日本語教育へ重点を置くようになり、この建物の落成は日系カナダ人社会の成長と繁栄を象徴するものとなった。1942年の第二次世界大戦の勃発と同時に、カナダ連邦政府により強制閉鎖並びに強制徴用されたが、1952年に再開し、日本語教育およびに多文化交流の集いの場として多くの人々に親しまれ続けている。また、この建物は戦後から今日に至るまで、日系人社会に返還された唯一の建物である。この建物の補修工事および東側の新しい校舎が2000年に完成し、2013年には大規模修復が行われ、保育施設としての機能を持つようになった。

晩香坡(バンクーバー)日本語学校は、日系人社会に返還された唯一の歴史的建物です。

いまの建物は1928年に、拡張施設として建てられ、バンクーバーの歴史的建造物に指定されています。

1906年、日系コミュニティーがパウエル街に発展するに従い、日系移民たちは8,000ドルを集め、日本語と、その他の科目、算数や歴史・理科などを教えるために学校を建設した 年に1回、学校の運動場で華やかな運動会が催され、バンドや応援、たくさんの賞品があった。

1941年12月7日、パール・ハーバーが攻撃されるとカナダは日本に宣戦布告した。 1942年に、人種差別と政治的、経済的ご都合主義の影響で、BC州の2万2千人近くの日系人が家を追われ、いろいろな収容所へ送られた。およそその半数がパウエル・ストリート一帯の住人だった。 家族は離ればなれになり、住宅・所有物・ビジネスは、カナダ政府により、許可なく没収・売却された。日系カナダ人は戦時居住制限が解除される1949年まで自由に移動できなかった。

スパニッシュ・ミッション・リバイバル様式という、どこか海辺の街を思わせる建物です。

もともと、スペインがアメリカを植民地にしていた時代の建築をベースにしているそうです。

アレクサンダー・ストリート(Alexander St)という裏通りにあるんですが、立派で重厚感のある建物です。

歴史の重みを感じさせるような、そんな雰囲気です。

すぐ裏には大陸横断鉄道が走っています。

かつて倉庫街だったと思わせる寂しい雰囲気の場所で、現在はオフィスなどが入っています。

まとめ

戦前まで、パウエル・ストリート沿いに存在したバンクーバーの日本人街(ジャパンタウン)のいまを紹介しました。

大部分は戦争による強制徴用で消失し、かつてをしのばせる建物はほんのわずかしか残ってません。

当時活躍したバンクーバー朝日軍のグランドもホームレスのテントで埋め尽くされ、見るも無残な姿。

治安の悪さもあり、軽い気持ちで観光に行けるような場所ではありませんが、日本人として忘れてはならない歴史があります。

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