なぜフィリピン人は日常的に祈るのか

国民の9割以上がキリスト教徒(クリスチャン)のフィリピンでは祈りが日常生活に浸透している。

食前に祈りを捧げるのはもちろん、教会の前を通るときですら十字を切る人も多い。

どうしてフィリピン人がそんなに祈るのか疑問だったが、ある本を読んでなるほどと思った。

ネットで評判の『上馬キリスト教会ツイッター部の キリスト教って、何なんだ?』である。

ツイッターで人気の上馬キリスト教会のMAROさんが書いた「入門書のための入門書」で、堅苦しいキリスト教をゆるーく徹底的に分かりやすく解説した本。

なかでもクリスチャンと祈りの関係の説明が目から鱗で、フィリピン人が日常的に祈る背景を理解するのにぴったりだった。

目次

日常的に祈るフィリピン人

国民の9割以上がキリスト教徒のフィリピンでは、神に祈ることが日常生活に浸透している。

もちろん、どれくらいの頻度で祈るかは人それぞれだが、信心深いフィリピン人は何かにつけて祈りを捧げる。

フェイスブックの投稿に神に感謝を捧げるメッセージが添えられていたり、親しくなるとテキストでも“God” “Pray”といった単語が出てきてびっくりする。

クリスチャンのボランティアグループの活動に参加したときは、みんなで輪になって手を繋いで天に祈りを捧げたのを覚えている。

ミサに参加すれば、“Let us pray”と言って1時間ほどの間に十回以上は祈りを捧げ、食前には手を合わせて静かに祈る人も多い。

それくらい祈りはフィリピン人の生活に浸透している。

祈りは神様とのコミュニケーション

はじめはどうしてそんなに祈るのか理解でなかったが、MAROさんの「祈りは神様との会話、コミュニケーション」という言葉を読んでなるほどと思った。

祈りとは神様との会話、コミュニケーションですから、常にそれをとり続けるように努めることが大切なのであって、形式にはあまりこだわらない、というのが少なくとも一般信徒の日常の祈りであると思います。もちろん、礼拝のときなどにはある程度決まった形式で祈ることもありますが。とにかく大事なのは形式よりも日々神様に思いを寄せることなんです。 

出典:MARO『上馬キリスト教会ツイッター部の キリスト教って、何なんだ?』

日本人の感覚からすると神社やお寺に行ったときにしか祈らないのが普通だが、キリスト教では日常的に祈ることが大切だという。

また祈りは一方向的なものではなく、神様とのコミュニケーションの役割も果たしているとのこと。

家族や友人とのつながりを大切にするフィリピン人が、神様とのつながりを求めて頻繁に祈りを捧げるのも納得がいく。

祈りネットワーク

さらに興味深いなと思ったのが、お互いに祈り合う「祈りネットワーク」という考え方。

クリスチャンはそれぞれ日々の祈りの中で、お互いのためにも祈りあっています。それにより、自分が祈れないときでもほかの誰かが祈ってくれている、という「祈りネットワーク」みたいなものができているんです。 「祈れない人のために祈る」ことは「とりなしの祈り」と呼ばれ、キリスト教における祈りの大事な一要素となっています。自分の抱えている問題をシェアし合って、お互いのために祈ることもあります。「自分で祈る」のも大切ですが、この「祈り合う」ということがクリスチャンや教会にとって大切なんです。そして「誰かにいつも祈られている」ということは想像以上に大きな安心感をもたらしてくれるものです。

出典:MARO『上馬キリスト教会ツイッター部の キリスト教って、何なんだ?』

この概念がクリスチャンの考え方を理解する重要な要素の一つで、仲のいいフィリピン人からことあるごとに祈りを強要されるのを思い出した。

もちろん、他人に祈ることを強要するのは少し特殊な例ではあるが、信仰心のあるフィリピン人と一緒にいると、お互いに祈るのが当然だと捉えているのを感じるし、それによってつながりや安心感を求めているのがわかる。

神様とのつながりだけでなく、祈り合うことによって家族や友人とのつながりも得ることは、不安定なフィリピンを生き抜いていくパワーになるのは間違いない。 

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