メイスーン・ザイード「私には99の問題があるが、脳性麻痺はその1つに過ぎない」

Photo by : TED Conference

「私には99の問題があるが、脳性麻痺はその1つに過ぎない」

「車椅子の人がビヨンセになれないように、ビヨンセは車椅子の人になれない」

聴衆に向かって力強くジョークを交えて語りかける彼女の名は、メイスーン・ザイード。脳性麻痺で常に震えが止まらない症状を抱えながら、コメディアンとして自ら生きる道を切り開いてきた。

屈託のない笑顔と澄んだ瞳の裏には、苦難の連続だった半生を笑いに変えるパワーが秘められている。

目次

脳性麻痺のコメディアン、メイスーン・ザイード

パレスチナ人の両親のもとに、ムスリムとして生まれたメイスーン。

出産のときに酸欠状態で生まれてきた彼女は脳性麻痺になった。

「酔っ払ってない」と前置きしておきながら、震えが止まらないという自らの病状を、シャキーラとモハメド・アリを足した感じと笑いに変える。

自らを悲観することのないメイスーンはこう言い切る。

「私は99個の問題を抱えているが、脳性麻痺はその1つに過ぎない」

パレスチナ人でイスラム教徒、女性で障害者。そして、ニュージャージーに住んでいるという自虐ネタで笑いをとる。

地元ニュージャージーについては「ニューヨークまで歩いていけることろが好き」とポジティブに捉える。

そんな彼女の父親の口癖は、「お前はできる。絶対にできる(You can do it, yes you can can)」

父親の愛が彼女を支えた

歩き方を教えてくれたのも父親だった。

5歳のときに、父の足にかかとを乗せて歩く練習をした。

毎年夏にはパレスチナに帰り、あの手この手で娘を治そうと懸命だったという優しい父親。

鹿のミルクを飲ませたり、死海に浸からせ目が焼けると「効いてる! 効いてる!」と叫んだというエピソードも。

叶えられない夢はないと両親から教わったメイスーンは、アメリカンドラマに出演するという夢を抱く。

大学での挫折

奨学金を得てアリゾナ州立大学に進学したメイスーンは、演劇を学びはじめる。

成績はすべてオールAでほかの生徒の宿題まで引き受け、『ガラスの動物園』を演じると教授たちは涙を流した。

しかし、それでもメイスーンは役をもらえなかった。

4年生のとき脳性麻痺の女の子の演劇をすることになったとき、「私はこのために生まれてきた!」と歓喜した。

しかし、ふたを開けるてみると脳性麻痺ではない別の子が役を演じることになった。

納得できず学部長に理由を問いただすと、メイスーンがスタントをできないと思ったからだと答えた。

これに対し、興奮したメイスーンは言った。

「私がスタントできないなら、そのキャラもできないはずよ!」

大学は人生の縮図だった。

脳性麻痺の役を、脳性麻痺じゃない子が演じている。ハリウッドでも障害者の役を健常者が演じている。

大学卒業後、地元ニュージャージーに戻った彼女、そして昼ドラのエキストラの仕事を得ることになる。

再びの挫折、コメディーとの出会い

アメリカンドラマに出演するという夢が叶いつつあったメイスーンは、すぐにいい役をゲットできると信じていた。

しかし、実際に放送された映像を見てあることに気づく。

キャスティング担当者は、障害者を使わない、健常者しか使わないということを。

今までの努力をすべて否定されるような状況に直面した彼女だったが、同時にあることをひらめく。

子どもの頃よく見ていた、ウーピー・ゴールドバーグ、ロザンヌ・バー、エレン・デジェネレスにはある共通点があった。

それは、コメディアンであるということ。

そして、彼女はコメディアンになる道を選んだ。

初めての仕事は、ニューヨークの有名コメディアンを車に乗せ、ニュージャージーを案内するというものだった。

それからメイスーンは、アメリカ全土のクラブでショーを行うようになり、ルーツである中東では、アラビア語のコメディーも披露した。

アラブ初のスタンドアップコメディアンと呼ばれるようになった彼女は、2003年から毎年ニューヨークで、アラブ系アメリカ人のコメディーフェスティバルを開催している。

ビヨンセは車椅子の人になれない

幸いにもメイスーンは、子どもの頃から脳性麻痺でからかわれたことはなかった。

しかし、ネット上では彼女の障害が格好の餌食になってしまう。

「おい、こいつはヤク中か?」

「ガンビー人形の口をしたテロリストだ」

あまりに非情なコメントの数々に言葉を失うが、メイスーンは力強く言う。

「車椅子の人がビヨンセになれないように、ビヨンセは車椅子の人になれない」

エンターテイメントだけでなく、日常生活においても障害者のイメージを変えていきたと力強く語る。

私ができるなら、あなたもできる

そして、これまでの人生で一番すばらしかった瞬間を振り返る。

それは、パーキンソン病に冒され、自分と同じように震えが止まらないモハメド・アリの前でショーをしたこと。

またそれは、父親が唯一ライブで見にきてくれた特別なショーでもあった。

最後に、愛する父親との思い出に、アラビア語で言葉を捧げたメイスーン。

「私の名前は、メイスーン・ザイード」

「私ができるなら、あなたもできる!(If I can can, you can can!)」

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Audible(オーディブル)なら、彼女自身の声で聞くこともできる。

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