栄光、不倫、乳がん。大女優イングリッド・バーグマン

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スウェーデン出身の世界的な大女優イングリッド・バーグマン。

圧倒的な美貌と演技力で見るものを魅了し、ハリウッドのスターダムを一気に駆け上がった。

アカデミー賞を3度受賞し名実ともに大女優としての地位を築いた彼女。

しかし、その裏には不倫スキャンダル、ハリウッド追放、乳がんとの闘病生活があった。

ハリウッドでの栄光

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1915年ストックホルムで、スウェーデン人の父とドイツ人の母のもとに生まれたイングリッド・バーグマン。

幼い頃から女優になることが夢だったという彼女は、17歳のときにストックホルムの王立ドラマ劇場のオーディションを受け才能を見出される。

劇場付属の演劇学校に進学し、在学中に映画のオファーを受け、学校を退学してスウェーデン国内でいくつかの映画に出演する。

その活躍を目にしたハリウッドの映画プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニックに招かれ、1939年『別離』でハリウッドデビューを果たす。

映画は興行的に大成功を収め、イングリッドは一躍人気女優となった。

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1942年には彼女の代表作となる『カサブランカ』でハンフリー・ボガートと共演。

2人の男の間でゆれるイルザを見事に演じ、映画はアカデミー賞作品賞を受賞した。

その後、『誰が為に鐘は鳴る』(1943年)『ジャンヌ・ダーク』(1948年)などに出演、『ガス燈』(1944年)でははじめてアカデミー賞主演女優賞を受賞。

ハリウッドのスターダムを一気に駆け上がった。

不倫スキャンダル

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若くしてハリウッドで成功を収めたイングリッド・バーグマンだったが、大きなスキャンダルを巻き起こす。

『ストロンボリ/神の土地』(1950年)で監督のロベルト・ロッセリーニと不倫関係に陥り、妊娠してしまう。

しかも、彼女には夫と子どもがいた。

この不倫騒動がメディアで大々的に取り上げられ、アメリカでは社会問題となり、一部では彼女が出演する映画を禁止する運動まで起きた。

ハリウッドに居場所がなくなった彼女は、夫のリンドストロームと娘のピアを残してロッセリーニのいるイタリアに渡った。

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後年のインタビューで彼女はこう語っている。

「私はアメリカの女性にとって危険な存在だったの。

ラジオに流れる私の声ですら危ないとされてたわ。

もちろん、傷ついたわよ。

でも、私がしたことがそんなにほかの人に関係があるとは思えないの。

私の演技が気に入らないなら観なければいいし、でも、他人の私生活を非難するのは間違っていると思うわ。」

しかし、彼女の気持ちとは裏腹に、事実上ハリウッドから追放されてしまう。

そして、ロッセリーニのもとで『ヨーロッパ一九五一年』『イタリア旅行』『火刑台上のジャンヌ・ダルク』『不安』と立て続けに出演。

のちに女優として活躍するイザベラ・ロッセリーニも生まれた。

しかし、結婚生活はうまくいかず、1957年にロッセリーニと離婚。

翌年にはスウェーデン出身の演劇プロモーターのラルス・シュミットと結婚したが、1975年には破局している。

また、後年に出版した自伝で、写真家ロバート・キャパとも不倫関係にあったことを明かしている。

復活、そして乳がん発覚

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『追想』(1956年)でアメリカ映画に復帰したイングリッドは、2度目のアカデミー賞主演女優賞を受賞する。

1958年度のアカデミー賞授賞式で、スキャンダル以来はじめてハリウッドの公に姿を現した彼女は、旧友ケーリー・グラントからの紹介を受け、観客からスタンディングオベーションで迎えられる。

多くのファンが彼女の復帰を待ち望んでいた。

1959年には、テレビドラマ『ねじの回転』に出演しエミー賞を獲得。

女優としても円熟期を迎え、安定した道を歩みはじめたように思えたが、新たな苦難が彼女を襲う。

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イングリッドが胸にしこりを感じはじめたのは、彼女が58歳のときだった。

1974年に公開された『オリエント急行殺人事件』の撮影のあと、ロンドンで検査を受けると乳がんと診断される。

1977年には同じスウェーデン出身の巨匠イングマール・ベルイマン監督の『秋のソナタ』の撮影がはじまっていたが、右胸を切除した影響でリンパ浮腫を発症し、思うように動けなかった。

輝かしい女優人生とは対照的に、乳がんは彼女の体を確実に蝕んでいった。

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それでもイングリッドは演じることを止めなかった。

テレビシリーズ『ゴルダと呼ばれた女』では、イスラエル初の女性首相ゴルダ・メイアを見事に演じ切った。

すでにこのとき全身にがんが転移していて、とても演技をするような状況ではなかったという。

しかし、現場では一切弱音を吐かなかった。

そして、1982年8月29日、67歳という若さでこの世を去った。

奇しくもこの日は彼女の誕生日であり、撮影からわずか4か月後のことだった。

受賞したエミー賞主演女優賞は、一番最初の娘ピアが代わりに受け取った。

人生の最後の日まで演じ続けた

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娘で女優として活躍するイザベラ・ロッセリーニは晩年をこう振り返る。

「お母さんは9年間も乳がんで苦しみました。

最後の3年間は、私の兄弟姉妹が交代でロンドンにいる彼女の横についていましたが、とても厳しいものでした。

がんはリンパ節まで広がり右腕に大きな腫瘍ができ、もう演技ができないかもしれないという不安にひどく落ち込んでいました」

厳しい闘病生活にもかかわらず、最後まで演技に対する情熱を燃やし続けたイングリッド・バーグマン。

乳がんを患いながら、命が燃え尽きる最後まで女優として演じ続けた執念の人生だった。

がんは美を奪えなかった

イングリッド・バーグマンが亡くなる1年前に撮影されたインタビュー映像。

このとき、かなりがんは進行していたと思われるが、衰えるのことのない美しさが彼女の中にある。

その美しさは、永遠に失われることはなく、人々の記憶の中で輝き続けている。

最後に、彼女をハリウッドに招いたデヴィッド・O・セルズニックの息子で、映画プロデユーサーのダニエル・セルズニックはこう語っている。

「彼女ほど会うたびに息をのむ人はいなかった。

女神のようなくちびる、頬、耳、鼻、目、体。

そして、彼女は完璧なまでに自然だった。」

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イングリッド・バーグマン〜愛に生きた女優〜 [ イザベラ・ロッセリーニ ]

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