「貧しい人を助けたい」は自己満だったとフィリピンで悟る

貧富の差が激しいフィリピンに住んでいると、貧しい人を助けたいと思うことがある。

日本にいるときはそんなこと思わなかったが、フィリピンに来てリアルな状況を目の前にすると自然とそういう気持ちが湧いてくる。

で、そのことについていろいろ考えてみた結果、結局自己満でしかないと感じた。

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超高層ビルの裏にあるスラム

写真は首都マニラにあるBGCという綺麗で治安がいいエリア。

大企業の高層ビルが立ち並び、おしゃれなショッピングストリートに高級コンドミニアムが密集するフィリピンの最先端都市。

ただ、そんな最先端のBGCを一歩外に出ると、まったくの別世界が広がっている。たとえば、この写真。

貧困層が生活するスラム街だが、BGCとはコンクリートの壁ひとつ隔てて隣接している。

この残酷なまでの違いを初めて見たときの衝撃は忘れられず、これが貧富の差かと痛感した。

と同時に「貧しい人を助けたい」という自分の考えが、浅はかなんじゃないかとも気づく。

ちなみにBGCからこのスラム街への入り口には警備員が立っていて、一応だれでも入ることはできる。

ただ、今日前を通ったところ「No Outsiders Allowed」と書かれた張り紙がしてあり、部外者は入れないようになっていた。

おそらくコロナの感染者がこのスラム街でも発生して人の出入りが制限されている。

スラムに住む人と暮らしを理解する難しさ

先ほどの写真をマニラ出身のフィリピン人の友人に送っていろいろ聞いてみた。

その友人はスラム街でNGO活動のボランティアをしたこともあるらしく、そのときの体験をもとにこう教えてくれた。

「スラムにはスラムにいる人しか理解できないような問題がある。それを理解するのは、同じフィリピン人でも難しい。たとえば、裸足で遊ぶ子たちにスリッパを履かせようとすると親が激怒する。そういうふうに簡単に気分を害されたと感じる人がいて、安易に手を差し伸べるのはよくない」

この意見をきいたとき同じフィリピン人ですら理解できない問題を、生まれも育ちもまったく違う外国人が理解できるはずがないと思った。

自らスラムに入って彼らと一緒に生活でもしないかぎり理解するのは不可能だし、自分にはそんな覚悟はない。

「貧しい人を助けたい」という考えは、その覚悟がないかぎり自己満でしかない。

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